OpenでなくなったOpenCyc

2012年までは OpenCyc はオープンであったが、今年2017年に我々の常識で言えばオープンでなくなってしまった。

Cyc技術の一部は、2001年以来、Apache と Created Commons のオープンソースライセンスの下、API、RDFエンドポイント、データダンプなどにより提供されてきたが、2017年初めにこれらのディストリビューションは廃止された。その理由はそのような「断片化 (fragmenting)」が発散 (divergence) につながり、ユーザの間に混乱を引き起こし、技術コミュニティに OpenCyc の断片が Cyc だと誤解を与えるからである。 (http://www.opencyc.org/ より引用)

つまり、Cycorp はセマンティックウェブやLODに背を向けたということだ。誰がなんといおうと、これは間違った方向だ。

ソフトウェアやデータはコピーすれば原価ほとんどゼロで再生産できる。「知識こそ力」というのは弊社のモットーであるが、それが一部の組織や団体に囲い込まれるのではなく、万人にあまねく提供されてこそ、本来の力を発揮できる。

「知識」はどこに固定されるのか、アレキサンドリアの時代からそれは図書館であり、近代の出版革命以来は市販される書物であり、現代のようなウェブの時代ではネットの上だ。出版業界の低迷の原因も本質的にはそこにある。だから、技術の進歩に合わせて社会を進歩させ、会社をサステーナブルにしようとするなら、今ではウェブ上に知識を固定しなければならない。それを可能にするのがセマンティックウェブとLODの技術だ。

それでは、そのような時代におけるビジネスモデルはどうなるのだろうか。ひとつは大規模な知識を提供するプラットフォーム・モデルだ。最近、ウェブプラットフォームについて、ある分野の低レベルなところで圧倒的な量のユーザを抱えたプラットフォームを構築すると安定的なビジネスになる、という話を聞いた。さもありなんと思う。もうひとつは、人手によるサービス提供だ。我々の最近のオントロジー利用の研究から、今現在、世の中に右から左にすぐ使えるようなオントロジーがどこにもないということが分かった。ひょっとして、未来永劫そんなことはないのではないかと最近思う。結論に一足飛びに飛ぶと、つまり、過去の事実やデータや知識はオントロジーとしてあるいはLODとして固定されても、いつもいつもそのとき抱える問題を解決するためには、蓄積されたデータや知識をどう使うかという課題が常にあって、データを解釈したり、知識を選んだり、組み合わせたりすることが必要だということだ。自然言語が generative であるように、知識やオントロジーも generative でなければならないのではないか。とすれば、だれがそれを行うのか、そこにビジネスモデルを見出すことができる。

Cycorp は間違った方向に足を踏み出した。これを変えない限り、Cycorp に未来はない。